最後の再会

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今年に入ってから父の容態が急速に悪くなってきています。以前も少し書きましたが、父は15年以上も前に癌になって、ステージも悪い状況だったので、ここまで生きているのが奇跡のような人なのですが、その奇跡もついに…終焉に近づきつつあるようなのです。

癌そのものもじわじわと悪くなっていますが、それよりも体全体が悪くなっているようです。ずーっと毒のような抗がん剤を使用してきたのだから、当たり前といっちゃ当たり前かもしれません。ちなみに父がお世話になっている病院は、東京都内でも有数の大病院なのですが、その病院の中でもダントツ長期間同じ抗がん剤を使用して効果がありつづけ生き抜いている、というのですから、、、ある意味すごい人です。

そんな父がついに救急隊員に(本人の)在宅希望を拒否され病院に担ぎ込まれたという連絡を姉から受けたのが8月末。状況を確認すると、まだ死ぬような状況ではないと思うけど、でも楽観もできない、いずれにしても緩和ケアに意向していくことになる、という報告で、私はいつ日本に行けばいいのだろう?と思いました。実は9月になったらお正月の日本行きのチケットをとろうか、と考えていたこともあって、自分で即決できなかったのです。

自分では決められないなあ、と、日本に行くべきかを姉に尋ねると、姉はそんな心配しなくてもいい、と言ったけれど、うちのだんなさんはまったく違う意見でした。「もう治らなくてどんどん悪くなることが分かっているのに何を躊躇しているんだ?今、会わなくていつ会うつもりなんだ?」の一言。

そりゃ、確かにだんなの言う通りだ、お正月まで待っている場合ではない、と背中を押され、慌てて航空券を購入して、お休みを貰って日本に行ってきました。

私が行く1週間ほど前に父は病院内で肺炎になって40度の熱を出して大変なことになっており、もしや私が到着する前に死んでしまったらどうしよう?等と思っていたのですが、父は時折脳の記憶力が混とんとする中で、私が帰るのを毎日楽しみにして待っていてくれました。

そして1週間の滞在中、みるみるうちに回復していったのです。回復…といっても、普通の生活ができるようになったわけではなく、ベッドから一歩も歩けない状況には変わりないのですが、それでも絶食で熱が下がらない状況から平熱になり、離乳食程度の食事がとれるようになりました。

もともとが奇跡みたいに生きてきた人だから、この生命力はさすがだな、と思いましたし、私が帰ったことが最大の親孝行になったのかもしれない、とも思いました。実際、父も母も大喜びで、親が子供に会うことがこんなにうれしいんだ?と思えるくらいでした。

最後の日は、これが父に会える最後になるかもしれない、という思いが強かったけれど、思ったよりも普通でした。父もこれほど寂しいことはない、とは言ったものの、延命治療を希望しておらず、もう旅立つ準備はとっくにできているようで、取り乱したりすることもなく、ありがとう、ありがとう、の繰り返しでした。

今、オランダに帰ってきて数日が経ちますが、思い切って行ってきて良かったな、と思います。美しい別れ、と言ったらちょっと正しくない言葉のような気もしますけど、でも、感覚でいうとそんな感じでした。

ドラマや本を読んでいると、よく「死に際に間に合った」とか「間に合わなかった」というような話がよくありますが、それは自分の自己満足や親孝行できなかった自分への後悔にしかならないような気がします。

自分が後悔しないよう親孝行をしたいのならば、行けるうちに行け、会えるうちに会いに行け、ということなんだなー、と改めて思いました。遠くに住んでいたり、仕事が忙しかったり、子育てをしていたりすると、なかなか決心がつきにくいけれど、背中を押してくれただんなと娘、快く休暇を許可してくれた上司には感謝したいです。

…と、こんなことを書いていて、また来年「父の状況がさらに悪くなってきた」なんて言っていたら、どうしましょう?なのですが…。いや、そうであってくれると奇跡中の奇跡なんですけどね(苦笑)。
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